櫻井翔さんと慶應イズム

ファンクラブ会員に届けられた会報の百問百答があまりにも櫻井翔さんでした。特にQ67にやられてしまいました。

そこで今までの彼の言葉や曲を含めて、櫻井翔さんと慶應についてまとめて書いておきたくなりました。

 


学歴厨丸出しブログです🐶合わなかったら閉じてねん🐶

それでは始めま〜す。

 

 

 

櫻井翔さんにとっての慶應義塾とは

②嵐や櫻井翔さんの楽曲にみる慶應イズム

櫻井翔さんの発言にみる慶應イズム

 

 

 


櫻井翔さんにとっての慶應義塾とは

 


「学生当時は学校が自分の全てだった」アラシゴト まるごと嵐の5年半

 


この言葉通り、慶應とは櫻井くんにとってまさに自分の全てでした。“地元の友達”という存在はおらず、毎日バスを乗り継ぎ通う慶應に気心知れた友達がいるからです。そんな慶應は最早家族と同等の存在だったのではないでしょうか?

AROUND ASIAでHip Pop Boogieを披露した際、ベルトのバックルに慶應の校章を模したマークがありました。そしてソロコンでは同じく校章を模したマークのネックレス。ペンの指す方向ではバックに慶應の応援歌である「丘の上」。

2019年5月更新分のオトノハでは慶應ラグビー部のバッグを持っていましたし、今現在でもその愛校心は変わらず彼の中にあるのではと思います。

 


青春を過ごした場所には大抵の人が愛着を持ったり何年か経っても変わらず集まったりすると思いますが、櫻井くんの場合はちょっと度が違うなあ…と思っていました。(最近「慶應出身の先輩が慶應のメモ帳を使っていた。慶應卒の愛校心はヤバい」という旨のツイートを見たので、もしかしたら櫻井くんのみならず慶應卒の方には当てはまる傾向なのかもしれません)

 


そこで、慶應卒の方は特にウチソト意識が強いのかもしれないと考えました。ウチソトとは、日本人によく見られる他者の位置付けです。家族や友達、親しい人間を己に最も近い位置(ウチ)に置き、それ以外の他者を外側、つまりソトと見る考え方です。ちなみに、ソトよりも更に外側にあるのがヨソです。閉鎖的にも思えますが、だからこそ内側の結びつきが強くなります。

櫻井くんのような内部進学組の方はほとんどが幼稚舎からのお友達なので、団結力というか仲の良さがやはり違うと聞いていますし、そういう考え方もできなくはないのではないでしょうか。

また、櫻井くんは近所に住む友達という存在がいなかったので尚更慶應への思い入れが強くなったとも考えられます。

 


そのため、今から13年前のポポロにて伝説の「愛が溢れちゃう、漏れちゃう」発言があった時も慶應への強い思い入れ故だろうなと思わせる言葉がありました。以下に抜粋します。

 


「でも俺、たまに愛が溢れちゃう傾向にあるよ。愛がもれちゃう(笑)それもなぜだか恋愛より友情の方が溢れぎみ(笑)」ポポロ2006年(発売日不明)

 


なぜだかじゃないぞ櫻井翔。そりゃあ学校が自分の全てで、思春期に入るより前からずっと同じ学び舎で過ごしてきた友達相手なら「愛が溢れちゃう」のも頷ける。存在が大きすぎる。彼が21才の時に同級生に宛てた手紙「桜、散るまでに。」からも、その仲間への想いの深さや強さが感じ取れます。

 


では、次にその想いの強さが滲み出ている楽曲を見てみましょう。

 

 

 

②嵐や櫻井翔さんの楽曲にみる慶應イズム

 


Hip Pop Boogie

「人の上に人作らぬなら俺がその天の頂いただく」

 


これは慶應義塾創始者福沢諭吉の著作「学問のすゝめ」にある有名な言葉が元になっています。以下に抜粋します。

 


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。学問のすゝめ 初編

 


人類皆生まれた時は平等であり、上や下は存在しないという意味です。

出身校の創設者による言葉を、自らが歌う曲に盛り込むほどの愛校心。震えてしまいます。

 


しかし、この言葉の後に「俺がその天の頂いただく」と櫻井くんは言っています。

ここでいう“天の頂”については、以前に心の空のラップ解釈をした際出てきた高天原を指すのだと考えます。初見の方は先にそちらを読んで頂いた方が分かりやすいかと思います。

 

 

わたしが思うに、この歌詞の意味は「人類が皆生まれた時から平等ならば、スサノオという神になり高天原のトップに立つ」です。

 


嵐はデビュー曲のA・RA・SHIにて、「そうさ僕らはスーパーボーイ」と歌いました。この時点ではまだ“スーパーボーイ”という名の、秀でた人間の位置づけだったのではないでしょうか。このまま人間として進んでいっても最初から皆平等であるならば人間より上の存在、つまり神になりトップに立とう。

 


先程述べたブログにて誓約の話をしましたが、この「人の上に人造らぬなら俺がその天の頂いただく」も誓約だったのでは、と思います。

 


また、この「スーパーボーイ(人間)から神になる」という行為は、現人神になる過程とも言えるのではないでしょうか。現人神とは人の形をした神、また、人間でありながら同時に神であるという意味でもあります。第二次世界大戦終結まで、天皇を指す言葉として用いられていました。

このように神になると誓約してきた櫻井くんが、己や嵐についてはっきりとスサノヲを自称したのはRock this(2011)です。正確にはwe're like スサノヲ(スサノヲのようだ)ですが、ほぼ同義と捉えて良いのではないでしょうか。“〜のような”という言い方にしたのは、スサノヲへの敬意もあるのかもと考えています。

この曲のラップで、嵐は完全に現人神となったんだと興奮しました。 また、10周年を終え、確かな自信と誇りを胸に尚も未来へ挑戦し続ける宣言でもあるのではないかと思います。

 

 

 

「ペンの指す方向」

 


ここで思い出して頂きたいものが、「ペンは剣よりも強し」という言葉です。

「ペンは剣よりも強し」とは、エドワード・ブルワー=リットンの戯曲『リシュリュー』の一節に登場する“The pen is mightier than the sword.”の和訳です。

慶應のホームページによると、この言葉のラテン語の成句である「Calamvs Gladio Fortior」が校章にも使われているとの事です。

福沢諭吉の言葉にも「余輩一本の筆を以て幾萬の兵を未然に防ぐ可能き筈なりき」慶應義塾元塾長 小泉信三 ペンは剣よりも強しとあります。

このように校章に使用され、慶應のモットーにもなっている言葉ですが、このペンが櫻井くんのソロ曲のタイトルに含まれるなどしており櫻井くん自身にとっても大きな存在だと伺えます。

 


これまで勉学に励んできた時も、ラップを書く時も、キャスターの仕事をこなす時も、ペンは必須です。そのペンに自らの知識や思いを乗せ「言葉」を作り出します。

その言葉が導く先は、更なるステップアップや嵐としての活躍です。故に“ペンの指す方向”とは、羅針盤が示す彼の航路なのでは、と考えました。

 


話は変わりますが、「愛を歌おう」(2013)のラップでは、嵐が船、ペンが羅針盤であるように、わたしたちファンを灯台に例えています。

 


該当部分を以下に抜粋します。

「you're my 道を照らす灯台

 


灯台とは、どんな天気でも船が迷わないよう、いつでも変わらず同じ場所にいて船やその航路を照らします。

スケッチ(2012)でも、「僕らの進む方 キレイに照らしてよ その笑顔で…。」という歌詞があります。こちらの曲では「you're my sunshine」とされていますが、道を照らすという役割においては変わりません。

灯台と船という切っても切れない関係のものに自分とファンを例える、そのワードセンスと想い。初めて愛を歌おうを考察した時は泣きそうになりました。

 

 

 

ペンの指す方向 chapterII

「口先ではなく見よう前」

 


これは福沢諭吉の「慶應義塾の目的」という文にある「躬行実践」が関わっているのではと考えます。慶應義塾の真の目的を最も簡潔に表したものとして有名なものだそうです。以下に抜粋します。

 


慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家(こけ)、処世、立国の本旨を明(さや)にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり 慶應義塾の目的

 


「躬行」は自分の意思で行う、「実践」は実際にやってみることで、口だけではなく実際にやってみることの大切さをいう言葉です。

ペンの指す方向chapterIIにて、繰り返し歌われる言葉。これは、前述した誓約において勝つ為にも重要だと考えます。

誓約は言霊の力により、その言葉を現実にしようとするものです。しかし、例えばただ単に「痩せたい、痩せる」と言葉にしてもそれだけで痩せられるはずはありません。そのための努力をした上で、自らを鼓舞し励ますものが言霊です。

つまりそう、口先だけでは何も変わらないという事です。櫻井くんはそれを分かっていたために、今の仕事に全力で取り組むと誓ったという考え方はできないでしょうか?

 

 

 

Hip Pop Boogie

「これが最初のタイトなパイオニア これが最初で最後のパイオニア

 


先程触れた「慶應義塾の目的」の文の中に出てきた“全社会の先導者たらんことを欲するものなり”が関わっていると思われます。

この文の解説として、福澤諭吉は学問を修める過程で、「智徳(ちとく)」とともに「気品」を重視し、社会の先導者にふさわしい人格形成を志しました。慶應ホームページ

 


社会の先導者という言葉に注目してみてください。櫻井くんはアイドルをしつつ大学進学、またニュースキャスター就任という2つの事でパイオニアとして道を切り拓いてきました。Hip Pop Boogieからも分かるように、その内に秘めた彼の開拓者精神とでも言うべき性格は慶應で育てられたものでもあると多分に思います。5歳の頃にお母様に置いていかれても睨んでいたエピソードから、元から肝が据わっている・度胸があるのかなとも思いますが

よって、この部分の歌詞は慶應の精神、つまり慶應イズムを受け継ぎ実践する櫻井くんの覚悟や宣言といった意味があるのではないかと考えます。

 

 

 

櫻井翔さんの発言にみる慶應イズム

 

「俺毎年子供の時(福沢諭吉のお墓に)お参りに行ってたから」SUMMER TOUR 2006"ARASHIC ARACHIC ARASHICK Cool&Soul"名古屋MC 「生まれ変わるなら何時代のどんな人がいい?」という話題

 

 

相葉「俺は福沢諭吉になりたい。どんな人でも嫌いじゃないと思うよ?」
(少し離れてた櫻井くんが不満げな顔で相葉さんを見る)
櫻井「えー相葉くんが福沢諭吉だったら嫌だなー」←以後、この話題の時なんとなく棒読み
相葉「なんでだよ!」
櫻井「だってー俺毎年子供の時お参りに行ってたから」
松本「え?福沢諭吉のお墓に?」
頷く櫻井くん
櫻井「麻布十番のお寺にあるの」
松本「それは何。遠足とかそんなの?」
櫻井「いや、自主的に。だから相葉君が福沢諭吉だったら嫌だなー」

 

震えませんか?慶應義塾の創設者のお墓へ自主的に墓参りをして(しかも子供の頃)、いくら嵐のメンバーでも福沢諭吉になるのは嫌と言うほどの敬愛。恐ろしい、シビれる。

 

ちなみに福沢諭吉のお墓がある麻布十番のお寺は、善福寺という所だそうです。状況が落ち着いたら行きたいですね。

 

 

 

「嫉妬は最もみっともない感情」Cut 2013年7月号 櫻井翔の履歴書Q27.どういう人に「嫉妬」しますか?

 


これについては、福沢諭吉著「学問のすゝめ」十三編“怨望の人間に害あるを論ず”の一部を以下に抜粋します。

 


怨望はあたかも衆悪の母のごとく、人間の悪事これによりて生ずべからざるものなし

日本語訳: 妬み嫉みは衆悪の母のようなもので、人間の悪事でこれによって生じないものはないほどである。

 


もしもこの言葉が元となっているとすれば、この回答は櫻井くんの超個人的な母校愛とか賛同などが詰まったものです。

その私的さの濃度があまりにも高すぎる故に「嫉妬は一番みっともない感情」という言葉は彼が彼自身を計ることだけしかできないものさしだと思います。

櫻井担が「翔くんが嫉妬は一番みっともない感情って言ってたし(>_<)」と自制しているのをたまに見かけますが、恐らく彼の回答はオタクに自制させる意図はなく、ただ単に母校愛ゆえのものさしを見せただけではと考えています。櫻井担が自制する事自体は予想していたかもしれませんが。

 

 

 


「『自由とは責任である』ととにかく叩き込まれた」

Cut 2013年7月号 櫻井翔の履歴書

 


櫻井くんのご家庭は基本的に放任主義だったそうですが、「やりたいならやれ、ただ責任は全うしろ」というスタンスだとこのインタビューで発言していました。留年したら大学の学費は自分で払えと言われていたというエピソードからも、このスタンスが貫かれてきたんだなと思いました

またそれだけでなく、出身校である慶應でも「自由とは責任」を叩き込まれたそうです。

先程、①櫻井翔さんにとっての慶應義塾とは?にて、地元の友達という存在がいなかった為に余計に慶應への思い入れが強まったのかもしれないと述べました。しかし、三つ子の魂百までと言います。小学生という幼い時期から義塾の精神を学び、慶應が家族以外のアイデンティティとして確立されていた事は現在の櫻井翔さんにとっても物凄く大きな意味を持つのではないでしょうか?

 


福沢諭吉の「学問のすゝめ」に該当部分と思われる言葉があります。以下に抜粋します。

 


自由と我儘との界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり

学問のすゝめ 初編 学問するには分限を知る事肝要なり

 


「自由とわがままの境界線は、他人の迷惑になるかどうかという点にある。」という意味です。

他人の迷惑にならず、自分だけが責任を取れるならばそれは自由である。他人に迷惑をかけ、周囲に悪影響を及ぼすとなるとそれはわがままである。

 


実際に、幼稚舎〜中等の時に“お山の大将”的存在だったという櫻井くんは、何回か「もうお前についてけねえよ」と仲間から反撃され、上記の事を身をもって学んでいった(要約)と答えていました。この言葉は正しいのだ、と学んだ事で更に慶應への敬愛が強まったのかもしれないと考えます。

 

 

 

独立自尊2019年3月嵐FC会報 櫻井翔百問百答Q67.座右の銘は?

 


慶應義塾の精神として挙げられている7つのうちのひとつです。

慶應義塾の精神とは、義塾、独立自尊実学、気品の泉源、半学半教、自我作古、社中協力です。

 


独立自尊の意味としては、心身の独立を全うし、自らのその身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う、だそうです。

 


自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行うことを意味する、慶應義塾の基本精神です。完全に慶應リスペクトの上で出てきた言葉です。人生、ありがとうございました。

 


また、慶應の応援歌に塾歌があるのですが、その旧バージョンの歌詞にも独立自尊の言葉がありました。それだけではなく、慶應讃歌という曲にも独立自尊の単語があります。

 


話が逸れますが、ペンの指す方向chapterⅠ、II両方に讃美歌という言葉があります。

これは恐らく慶應讃歌の事を指していると考えます。

ペンの指す方向chapterⅠのバックに同じく慶應の塾歌である「丘の上」が入っている為、丘の上ではないかという解釈もあります。しかしここでペンの指す方向の歌詞を思い出してみてください。

 


「何時間か後には讃美歌」

 


卒業式を数時間後に控えた状況です。

慶應の卒業式では国歌ではなく、塾歌を歌うらしいです。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが。

塾歌は曲数がかなりあるのですが、その中でも慶應讃歌は卒業式で毎年歌っているようです。そのため、丘の上よりも慶應讃歌の可能性が高いと思われます。

慶應讃歌がYouTubeにあったので、ぜひ聴いてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

ではなぜ丘の上がchapterⅠのバックに入っているのか?

この丘の上という曲は、早慶戦に勝った時だけ歌われる応援歌だそうです。

また一方で、ペンの指す方向は櫻井くんが慶應で長く同じ時間を過ごしてきた仲間に届けたかった想いを込めた曲。

 


そこに出身校の応援歌をバックに入れることで、ひたすら友を応援している事、慶應というホームで育った絆がある事というメッセージを込めたのではないでしょうか?

また丘の上においては、勝った時だけ歌われる曲です。つまり、これから先必ず勝つ(活躍できる)という意味にも取れます。これも何だか誓約に近いものを感じますし、「Everything gonna be allright」にも通じていそうですね。

 

 

 

以上で考察は終わりになります。最後になりますが、書いていて本当に楽しく、また恐ろしかったです。櫻井翔さんの愛校心と慶應への思い入れの強さに頭を抱えました。と言っても全部妄想込みの考察にしか過ぎず、また櫻井翔さんに対して大変失礼なブログになっている可能性がとても高いです。ですがこんな考えを持つ奴がいるんだなと知って頂けたら嬉しいです。

 


ちなみに、ペンの指す方向に登場する「動き続けた長針と短針」の時計は慶應大学三田キャンパスの旧図書館にある大時計か、同キャンパス内の稲荷山にある「独立自尊の時計塔」のどちらかの時計がモデルの可能性、ワンチャンあるといいなーと思っています。

 


図書館の方の大時計は慶應公式グッズで校章と共にペアグラスのデザインになっています。プレゼントにいいかもしれないですね。

 

 

下に学問のすゝめの本のリンク貼っておくのでぜひ買ってください。在庫少ないけど漫画なので読みやすいと思います。あなただけの発見があるかもしれません。その時は良ければ教えてください。

 

 

あと「余輩一本の筆を以て幾萬の兵を未然に防ぐ可能き筈なりき」の言葉が収録された、慶應元塾長の小泉信三さん著「ペンは剣よりも強し」も貼っておくので興味のある人は買ってみてください。ちょっと古い本だからなのか結構値が張りますが、言論に関わる者の責任を明らかにしたものだそうです。櫻井くんに通じる事があるかもしれません。

何せAmazonなので送られてきたものに関しての責任は負いかねますけども。

 


 

 

 

以上です。ありがとうございました。