アイドル大国の新世代

2006年、櫻井翔さんが立てたものは二つある。

 


中指と誓約だ。

 


まず前者は、SUMMER TOUR 2006 ARASHIC ARACHIC ARASICKでの「COOL&SOUL」披露時。

 

後者は前述した「COOL&SOUL」(ラップ作詞:櫻井翔さん)の歌詞の中で語られた“誓い”である。

 


櫻井翔さんが中指を立てたのは「ya so cute 二番煎じ」という歌詞部分の歌唱中。更には「FU○K YOU」と。会場中がザワついた(らしい)。

 


なぜそんな事をするに至ったのか、その辺りの説明は略しておくがとにかく櫻井翔さんは中指を立てたのだ。

 

 

また後者をとても大まかに説明すると、COOL&SOULにて櫻井くんは「最速でタイトルを奪い取る」と誓ったのである。

 

この曲では「誓約」という占いをしている。

誓約とは日本に古くからある言霊信仰に基づくもので、口にした言葉は魂を持つと信じられていた。

 


結局本当に誓約の通りに彼らは最速でタイトルを奪い取り、今やアイドル大国のトップに君臨する。

 

 


ひどく雑だが、こうして櫻井翔さんは2006年に中指と誓約を立てた。

 

 


彼のラップは一言で言えば「シビれる」ものだった。

 


パブリックイメージでは「平和で面白いおじさんたち」などという人畜無害な仮面(?)を被り、4人と共にゴールデンタイムに和気あいあいとサーフィンしたりグルメデスマッチしたり。

 


それでいて実は自らや嵐を日本神話のスサノオに例え、気性の激しい嵐の神のように周りのもの全てをなぎ倒し言霊通りに世界を動かしていってしまう。

 

 

 

ラップを書くのに、そんな対抗心バチバチのリリックは深いオタクしか知らないようなコアな曲でしか書かない。披露するのもライブだけ。

研いだ爪隠し牙をむく、視点を変えれば内弁慶。

 

 

 

こんなアイドル絶対どこにもいねえと思っていたが、嵐を好きになってから早14年。櫻井くんの書くラップのヤバさに気付いて早3年。

 


アイドル大国にも若い世代が着実に育っていた。

 


HiHi Jetsというグループにヤベェ逸材がいたのだ。

 


猪狩蒼弥である。

 


この男、どこか櫻井翔さんに似ている。

というのがHiHi Jetsのメンバー紹介ラップ「だぁ〜くねすどらごん」(作詞:猪狩蒼弥)を聴いた初見の感想だ。

 


この曲、彼が15歳の時に作詞したらしい。はい?

 


嘘やん、この語彙力が?わたしが15の時なんてツイッターと課外学習サボりしかしてませんでしたが…(良い子は真似しないでください❗️)と思いつつまた彼が作詞した別の曲「fence」を視聴した。

 


こちらもワードセンスが光り、歌詞から溢れるギラギラ感にまた櫻井翔さんを感じる。

それこそ「Anti-Anti」のような若さと上昇志向。

 


特に震え上がったのは「綺麗なMic 1本握りしめて No survive I'm like a K・A・I・S・E・R」と「「何を目指してますか?」目指す?笑わせんな 俺は俺だ 違いますか?

里に帰り 爪を切って 首洗って待っとけ」の二つ。

 


これは16歳の時に作詞したらしいが、16で皇帝自称しちゃうあたり興奮で頭抱えた。そして大学生の時にスサノオを自称した櫻井翔さんを思い出してクソデカため息が出た。

 


個人的にどうにも若さゆえのイキリみたいな、自分の事大きく言ってしまう青年が大好きなので。挑発したがりというか、反抗したがるようなところも。久しぶりに結構シビれた。

 

 


里に帰り爪を切って首洗って待っとけで「あぁもういい外野黙ってな そこの飲み屋でIZAM語ってな まるで足んねぇな たてるアンテナ 君ら見てるのそれはあさってだってんだAnti-Anti を思い出して、この年代のある層の男の子というのはこんな傾向があるのかなとも感じる。

 

 

 

櫻井翔さんが研いだ爪隠し牙をむくなら、猪狩蒼弥は爪を隠していない状態だと思う。

隠しきれないのではなく、本人が隠そうとしていない。むしろ見せつけている。

「俺は俺だ」のような発言から見ても、本当に独自に道を切り開いていくタイプに見える。櫻井翔さんが神話をなぞるなら、猪狩蒼弥は一から歴史を作っていく。

 

 

 

考察大好きオタクなので“櫻井”と“猪狩”の字面から受ける印象の正反対さとか、“翔”と“蒼弥”の爽やかパワーや二人の筆跡の差などを考えて何とも形容しがたいため息をついている。

 


とまあここまで書いてきたが、何しろhappyレターで初めて彼のヤバさをはっきりと感じた人間なのでこれはほぼミリしらである。

全然見当違いの事言ってたらごめん。

また何度も櫻井翔さんみを感じてしまう人間で不快に思われる人もいるかもしれないので、そこは謝っておく。

 

 

猪狩蒼弥、おもしれーアイドル…という気持ちです。

 

 

以上です。ありがとうございました

 

 

嵐「心の空」ラップを超自己流解釈した

嵐のアルバム「Japonism」収録曲「心の空」のラップ詞について考察したので書きました。

 


まず前置きとしてわたしは嵐オタの櫻井担です。それと同時に日本神話オタクです。と言っても趣味の範囲なので専門的に学んでいる人と比べたらゴミのようなものですが、心の空のラップ詩を日本神話オタクの目線からこじらせこじつけ&他曲との比較関連解釈します。

 

 

最初に心の空ラップ部分を以下に引用しました。

 

Here is El Dorado 囲まれる碧

他の空と繋ぐ“Hey!Hello!”

響くこの唄を 一つに歌おう

以って貴きこの和を (この和を)

巡り巡りゆく春夏秋冬

ヤヲヨロズ集合 (We're like 五奉行)

ずっと不動の地へと ゆこう

スサノヲ散らす風防 (you know)

 

今回わたしが日本神話オタクの目線で解釈するのは「ヤヲヨロズ集合」から「スサノヲ散らす風防」までです。

短いですが日本神話とこじつけ解釈ができるのがこの部分でした。ゆるちて。

 


それでは早速解釈しま〜す。

 

 

 

 ①「ヤヲヨロズ集合」とは?

 


ヤヲヨロズというのは漢字で八百万と書きます。昔から神様は水や土、火など八百万の数に例えられるほど色々なものに宿ると信じられてきました。

それらが集合する事、これを嵐ファンが集まる事だと解釈するブログなどもありましたが、わたしは真っ先に出雲大社での事ではないかと考えました。

 

島根県にある出雲大社には、神無月(10月)に日本全国から八百万の神がやってきます。そこで何をするかというと、人間の縁結びや来年の天候などを話し合って決めるのです。


その出雲大社主祭神、つまり八百万の神々を集める神は、大国主神という神です。かの有名なスサノヲの子供です。そして、出雲大社にはスサノヲが祀られてもいます。

スサノヲは櫻井くんのラップに度々登場します。「Rock this」では「we're like スサノヲ」とまで言っていますし、櫻井くんにとってスサノヲは大きな存在です。


そして、「Hip Pop Boogie」 にも神無月の出雲大社大国主神と思われる歌詞があります。以下に引用します。

 

(集合)津々浦々 八百万の長 

万物に宿りし神々の子

 

しかし、「ヤヲヨロズ集合」 が神無月の出雲大社だとすると、なぜ櫻井くんは集合をかけた張本人の大国主神をラップに登場させなかったのでしょうか?とても重要な存在のはずです。


わたしはこれについて、大国主神“国譲りの神”と呼ばれているからだと考えました。


日本神話の中で、大国主神はアマテラスに派遣されやって来たタケミカヅチという神に交渉され、葦原中国(あしはらのなかつくに。わたしたちが住む世界の事。高天原の下に存在し、現在の島根県である出雲国を指す説もあります)を譲りました。

 

そしてその交換条件として出雲大社を立て自分を祀らせる事を承諾させます。この出来事から、国譲りの神と呼ばれています。

 

国を譲るという事は、土地の統治権など、そこでの一切の権力そして地位を譲るという事でもあります。

 

嵐は今、誰もが認めるほどの国民的アイドルグループです。

この事実を国譲りと重ね合わせると、大国主神をラップに登場させる事は日本においてアイドルのトップの座を譲る事になると櫻井くんは考えたのではないでしょうか?

 

 

②「we're like 五奉行」とは?

 


五奉行というのは、豊臣秀吉が政権を握っていた時代にあった政治の実務を担う役職です。

五奉行の更に上に五大老という役職がありましたが、秀吉が亡くなったあとに五大老の一人であった徳川家康が一人勝ちしてしまいます。

嵐の五人を当てはめるとしても、五大老ではこのように力のバランスが悪いため櫻井くんは「五奉行」としたのではないでしょうか。


また、五大老五奉行の監督をする役割を持っています。

ただ監督をするのではなく、自らの手で政治を支えていく五奉行が櫻井くんは気に入ったのでは、と思います。


そして、五奉行五大老は「合議制」という形を取っています。合議制とは、複数人による話し合いで物事の意思を決定する事です。


嵐もライブの事やこれからの事など、自分達で色々な話し合いをします。


このことから、先程の「ヤヲヨロズ集合」とこの「we're like 五奉行」の二つは「神々(嵐のメンバー)が集いこれからの事を十分に話し合い、嵐自らの手で物事を決めていく」という意味に取れます。


③「ずっと不動の地へと ゆこう」とは?

 

不動の地、つまり揺るがない地というのは、高天原ではないでしょうか。


高天原とは、日本神話においてアマテラスなどの神々が住む場所です。


ここで、2006年の「COOL&SOUL」の歌詞を見てみます。

 

アマテラスの頃から

俺らは地上の遥か外側


下界に向けて吐き出す 言霊

 

この「地上の遥か外側」というのが高天原で、「下界」というのは葦原中国とも考えられます。


話が少し逸れますが、「COOL&SOUL」の上記の歌詞はアマテラスとスサノヲの誓約のシーンだと思われます。

 

以下がそのあらすじです。


スサノヲは亡くなった母に会いたいと喚き、それに怒った姉のアマテラスはスサノヲに高天原を出ていけと言いました。

高天原を出る前に姉の元に挨拶に来たスサノヲを見て、アマテラスはスサノヲが攻め入ってきたと勘違いしてしまいます。

そこでスサノヲは攻め入ろうとしてアマテラスの所に来たわけではないと証明するために、アマテラスと誓約(うけい)をします。


※誓約というのは、何かに対して「〇〇という結果になる」と言い、それが本当に起こるかどうかで物事の真偽を決める占いです。

古くから言葉には“言霊”というものがあると信じられてきました。「自分は〇〇できる」と声に出すと、言葉に宿った魂により本当にそれが現実になるというものです。

これは誓約を行う上でも重要視されてきた信仰です。

 


アマテラスとスサノヲの誓約は、生んだ神の性別によりどちらが正しいか決めるものでした。


アマテラスはスサノヲの刀を噛み砕き、フッと吐き出します。一方スサノヲはアマテラスがつけていた勾玉を噛み砕き、同じように吐き出しました。

アマテラスが吐き出した霧のような吐息からは「宗像三女神」と呼ばれる3人の女神が生まれました。

スサノヲが吐き出した吐息からはアメノオシホミミアメノホヒアマツヒコネイクツヒコネクマノクスビの5人の男神が生まれました。


アマテラスは「後に生まれた五柱の男の子は、私の勾玉から生まれたので私の子です。先に生まれた三柱の女の子は、あなたの刀から生まれたのであなたの子です。」と言いました。


するとスサノヲは「俺の刀から心優しい女神が生まれたのだから、俺に高天原を攻める意思はないと証明できたのだ」と、自分が勝ったと言い出しました。

(この二人の誓約は、最初に男と女のどちらを生んだ方が正しいか決めるべきでした。しかしアマテラスとスサノヲはそれを行っていませんでした。)

 

歌詞はおそらくこのシーンを指しています。

「下界に向けて 吐き出す 言霊」というのは、スサノヲが勾玉とともに吐き出した誓約の言葉です。

「COOL&SOUL」のこの歌詞はスサノヲの視点です。嵐がスサノヲだとすると、誓約の言葉はおそらく曲中にある「アイドル タイトル奪い取る 快速」ではないでしょうか?

そして、これに類似した歌詞が櫻井くんのソロ曲「Anti-Anti」や「ペンの指す方向 Chapter Ⅲ」にもあります。


以下に「Anti-Anti」と「ペンの指す方向 Chapter Ⅲ」の歌詞の該当部分を記載します。


Anti-Anti


たかがアイドル

風情がタイトル奪い取る

最速で奪い取る

 


ペンの指す方向 Chapter Ⅲ


俺が噂の大卒のアイドル

続々とまずタイトルを奪い取る

そう マイク持つアイドル大国を

大卒のアイドルが外国も奪い取る

 


2004年から2006年はいざッ、Nowツアーで「Anti-Anti」を披露。そして「COOL&SOUL」が収録された「ARASHIC」が発売され「ペンの指す方向 Chapter Ⅲ」がSHO BEATで放送。ドラマ「花より男子」や映画「硫黄島からの手紙」へのメンバー出演。

更には櫻井くんがNEWS ZEROにキャスターとして出演し始め、それらが起爆剤となり嵐として次第に波に乗っていきました。

 

その中で立てたこの誓約が正しかったかどうかは2007年以降の「花より男子リターンズ」やアジアツアー、「魔王」の放送開始、10周年での本格的なブレイク、そして今の嵐を見れば自然と分かります。

 

 

ここで、歌詞の中で嵐(スサノヲ)はなぜアマテラスではなく下界に向けて言霊を吐き出したのでしょうか?

 


それはきっと、誓約を立てた相手がアマテラスではなく下界だったからです。下界のわたし達人間、つまりファンやアンチを含んだ嵐を目にする全ての人間に対して「快速でタイトルを奪い取る」と誓約を立てたのだと思います。

 


話を戻します。「COOL&SOUL」の時にいた高天原でスサノヲはアマテラスと誓約をしましたが、結局誓約に勝ったのにも関わらずスサノヲは高天原で大暴れします。

その結果アマテラスに追い出され、葦原中国に降り立ったスサノヲ。

 


高天原に戻っても、アマテラスを始めとする神々に追い出された身ですからこの上ないアウェーなはずです。

そんなアウェーに、どうして心の空では「ゆこう」と言っているのか?

 

その疑問を解決する前に、今度は「Hip Pop Boogie Chapter Ⅱ」の歌詞を引っ張り出してきます。

 

Hip Pop Boogie Chapter Ⅱ

 

(集合) 津々浦々 神々歌うnight

Stand up ヤオヨロズ We come back!!

 

これもまた日本神話のワンシーンを元にしていると思われます。


先程書いたアマテラスとスサノヲの誓約のあとに、スサノヲは高天原で大暴れします。それを見たアマテラスは心を痛め“天岩戸”という大きな岩の洞窟に隠れてしまいます。

 

アマテラスが姿を隠したため、光が無くなり世界は夜だけになってしまいました。困った神々は天岩戸の前で祝詞をあげたり踊ったりして気を引き、どうにかアマテラスを天岩戸の外に出します。


歌詞はここを指しています。そして「Hip Pop Boogie Chapter Ⅱ」の「We come back!!」。俺たちは戻ってくるぜという言葉。


ここで先程の「なぜアウェーにゆこうと言っているのか」という疑問が解決します。


「Hip Pop Boogie Chapter Ⅱ」が歌われたのは「Japonism」が発売された2015年のARASHI BLAST in Miyagiです。

そして「Japonism」のテーマは原点回帰です。嵐は「ジャニーズの原点への回帰」や「外から見た日本」をJaponismリリース時に挙げていましたが、また別の見方もできます。


嵐もデビュー時や人気が出るまでは今のような環境ではなく、それこそアウェーな場所に置かれていました。

心の空の「ずっと不動の地へと ゆこう」、そしてHip Pop Boogie Chapter Ⅱの「We come back!!」の歌詞は、原点回帰、つまりアウェーだったあの頃に戻ろうという解釈はできないでしょうか?


「ずっと不動の地へと ゆこう」とは、「アウェーだったあの頃に戻ろう」という意味であると同時に、櫻井くんにとって、そして嵐にとって、2015年は本当に原点回帰の年という事を示していたのです。

 


④「スサノヲ散らす風防(you know)」とは?

 

風防というのは風よけです。

スサノヲは嵐の神で、荒れ狂う暴風雨の象徴という説もあります。


つまり、「スサノヲ散らす風防」とは“風よけを散らすほど激しい嵐の神”という意味になります。


この部分を「嵐の神スサノヲをも散らすほど強い風防」とする見方もありますが、櫻井くん自身が「Rock this」などで自分達をスサノヲに例えています。

それゆえわたしは「心の空」でスサノヲを追い払う対象として見る事は考えにくく、嵐自身がスサノヲではないかと予想しています。


また話が逸れますが、スサノヲの“スサ”は進むという意があるとされ、櫻井くんがスサノヲを好きな理由のひとつだと勝手に思っています。


ここでも「Hip Pop Boogie Chapter Ⅱ」の歌詞を出しますが、

 

きっと ずっと 一方通行

立ち止まればすぐ 一生終了

 

という部分があります。ここからも分かるように、櫻井くんは立ち止まる事を良しとしていません。


また、先程も出てきましたが2011年の「Rock this」。

ここでも櫻井くん自身のスサノヲや嵐に対する思いを読み取る事ができます。


以下に「Rock this」のラップ部分を記載します。


不可能を可能 we're like スサノヲ


この歌詞において、“不可能を可能”とは、おそらくスサノヲがヤマタノオロチを倒したシーンの事です。

アマテラスに追い出されて出雲国に降り立ったスサノヲは、それまで誰も倒せなかったヤマタノオロチを倒し、不可能を可能にしました。


2011年の嵐は、「ARASHI 10-11 TOUR “Scene” ~君と僕の見ている風景〜 STADIUM」が音楽DVD史上初の初動60万枚越えとなる61万枚を達成しています。

相葉くんが「トップになりたいって夢絶対叶えようね」と言ったのは2004年の24時間TV。嵐の人気が低迷していた時期です。

そこから徐々に波に乗り、今となっては誰もが認める国民的アイドルです。嵐もスサノヲのように不可能と言われていた事を可能にしたのです。

 

 

話を戻します。心の空の「you know」の歌詞はそのまま、あなた(ファン)は知っている、という意味です。


これらの事から、「ずっと不動の地へと ゆこう スサノヲ散らす風防(you know)」は「アウェーの時に、あの頃に戻ろう。あなたが知っている、風よけさえも散らすほど激しい嵐の神として」という意味になります。


以上より、「ヤヲヨロズ集合(we're like 五奉行) ずっと不動の地へと ゆこう スサノヲ散らす風防(you know)」は「嵐のメンバーが集いこれからの事を十分に話し合い、嵐自身の手で物事を決めていく。敵しかいない高天原(始まり・あの頃)へと戻ろう、あなたも知っているような激しい嵐の神として」と解釈できます。

 


2015年の嵐、「Japonism」のテーマ「原点回帰」と心の空から解釈した結果、無数の伏線が張り巡らされていた曲を以下にまとめとして書きます。

 

  • 「Anti-Anti」(2004)
  • 「COOL&SOUL」(2006)
  • 「ペンの指す方向 Chapter Ⅲ」(2006)
  • 「Hip Pop Boogie」(2008)
  • 「Rock this」(2011)
  • 「Hip Pop Boogie Chapter Ⅱ」(2015)
  • 「心の空」(2015)

 

なんだこの量。恐ろしい。もうひれ伏すしかありません。


余談ですが「COOL&SOUL」から「Rock this」、「Hip Pop Boogie Chapter Ⅱ」までのアマテラス及びスサノヲの話は、順番は少し違いますが神話の時系列通りに進んでいます。

 

ですが「心の空」で一度追い出された高天原に戻る場面は実際の神話に記述がなく(間違ってたら恥ずかしい)、櫻井くんはここから先は神話と違ったストーリーを描いていくつもりなのかしら、とひとり興奮しております。

 

 

終わった!!書き切りました!!

ラップを書いた時の櫻井くんの意図がどうあれ、考えていてものすごく楽しかったので満足しています。ハッピー


かなりこじつけに近い解釈でしたが、読んで下さりありがとうございました。

以上です。

 

 

 

櫻井翔さんと慶應イズム

ファンクラブ会員に届けられた会報の百問百答があまりにも櫻井翔さんでした。特にQ67にやられてしまいました。

そこで今までの彼の言葉や曲を含めて、櫻井翔さんと慶應についてまとめて書いておきたくなりました。

 


学歴厨丸出しブログです🐶合わなかったら閉じてねん🐶

それでは始めま〜す。

 

 

 

櫻井翔さんにとっての慶應義塾とは

②嵐や櫻井翔さんの楽曲にみる慶應イズム

櫻井翔さんの発言にみる慶應イズム

 

 

 


櫻井翔さんにとっての慶應義塾とは

 


「学生当時は学校が自分の全てだった」アラシゴト まるごと嵐の5年半

 


この言葉通り、慶應とは櫻井くんにとってまさに自分の全てでした。“地元の友達”という存在はおらず、毎日バスを乗り継ぎ通う慶應に気心知れた友達がいるからです。そんな慶應は最早家族と同等の存在だったのではないでしょうか?

AROUND ASIAでHip Pop Boogieを披露した際、ベルトのバックルに慶應の校章を模したマークがありました。そしてソロコンでは同じく校章を模したマークのネックレス。ペンの指す方向ではバックに慶應の応援歌である「丘の上」。

2019年5月更新分のオトノハでは慶應ラグビー部のバッグを持っていましたし、今現在でもその愛校心は変わらず彼の中にあるのではと思います。

 


青春を過ごした場所には大抵の人が愛着を持ったり何年か経っても変わらず集まったりすると思いますが、櫻井くんの場合はちょっと度が違うなあ…と思っていました。(最近「慶應出身の先輩が慶應のメモ帳を使っていた。慶應卒の愛校心はヤバい」という旨のツイートを見たので、もしかしたら櫻井くんのみならず慶應卒の方には当てはまる傾向なのかもしれません)

 


そこで、慶應卒の方は特にウチソト意識が強いのかもしれないと考えました。ウチソトとは、日本人によく見られる他者の位置付けです。家族や友達、親しい人間を己に最も近い位置(ウチ)に置き、それ以外の他者を外側、つまりソトと見る考え方です。ちなみに、ソトよりも更に外側にあるのがヨソです。閉鎖的にも思えますが、だからこそ内側の結びつきが強くなります。

櫻井くんのような内部進学組の方はほとんどが幼稚舎からのお友達なので、団結力というか仲の良さがやはり違うと聞いていますし、そういう考え方もできなくはないのではないでしょうか。

また、櫻井くんは近所に住む友達という存在がいなかったので尚更慶應への思い入れが強くなったとも考えられます。

 


そのため、今から13年前のポポロにて伝説の「愛が溢れちゃう、漏れちゃう」発言があった時も慶應への強い思い入れ故だろうなと思わせる言葉がありました。以下に抜粋します。

 


「でも俺、たまに愛が溢れちゃう傾向にあるよ。愛がもれちゃう(笑)それもなぜだか恋愛より友情の方が溢れぎみ(笑)」ポポロ2006年(発売日不明)

 


なぜだかじゃないぞ櫻井翔。そりゃあ学校が自分の全てで、思春期に入るより前からずっと同じ学び舎で過ごしてきた友達相手なら「愛が溢れちゃう」のも頷ける。存在が大きすぎる。彼が21才の時に同級生に宛てた手紙「桜、散るまでに。」からも、その仲間への想いの深さや強さが感じ取れます。

 


では、次にその想いの強さが滲み出ている楽曲を見てみましょう。

 

 

 

②嵐や櫻井翔さんの楽曲にみる慶應イズム

 


Hip Pop Boogie

「人の上に人作らぬなら俺がその天の頂いただく」

 


これは慶應義塾創始者福沢諭吉の著作「学問のすゝめ」にある有名な言葉が元になっています。以下に抜粋します。

 


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。学問のすゝめ 初編

 


人類皆生まれた時は平等であり、上や下は存在しないという意味です。

出身校の創設者による言葉を、自らが歌う曲に盛り込むほどの愛校心。震えてしまいます。

 


しかし、この言葉の後に「俺がその天の頂いただく」と櫻井くんは言っています。

ここでいう“天の頂”については、以前に心の空のラップ解釈をした際出てきた高天原を指すのだと考えます。初見の方は先にそちらを読んで頂いた方が分かりやすいかと思います。

 

 

わたしが思うに、この歌詞の意味は「人類が皆生まれた時から平等ならば、スサノオという神になり高天原のトップに立つ」です。

 


嵐はデビュー曲のA・RA・SHIにて、「そうさ僕らはスーパーボーイ」と歌いました。この時点ではまだ“スーパーボーイ”という名の、秀でた人間の位置づけだったのではないでしょうか。このまま人間として進んでいっても最初から皆平等であるならば人間より上の存在、つまり神になりトップに立とう。

 


先程述べたブログにて誓約の話をしましたが、この「人の上に人造らぬなら俺がその天の頂いただく」も誓約だったのでは、と思います。

 


また、この「スーパーボーイ(人間)から神になる」という行為は、現人神になる過程とも言えるのではないでしょうか。現人神とは人の形をした神、また、人間でありながら同時に神であるという意味でもあります。第二次世界大戦終結まで、天皇を指す言葉として用いられていました。

このように神になると誓約してきた櫻井くんが、己や嵐についてはっきりとスサノヲを自称したのはRock this(2011)です。正確にはwe're like スサノヲ(スサノヲのようだ)ですが、ほぼ同義と捉えて良いのではないでしょうか。“〜のような”という言い方にしたのは、スサノヲへの敬意もあるのかもと考えています。

この曲のラップで、嵐は完全に現人神となったんだと興奮しました。 また、10周年を終え、確かな自信と誇りを胸に尚も未来へ挑戦し続ける宣言でもあるのではないかと思います。

 

 

 

「ペンの指す方向」

 


ここで思い出して頂きたいものが、「ペンは剣よりも強し」という言葉です。

「ペンは剣よりも強し」とは、エドワード・ブルワー=リットンの戯曲『リシュリュー』の一節に登場する“The pen is mightier than the sword.”の和訳です。

慶應のホームページによると、この言葉のラテン語の成句である「Calamvs Gladio Fortior」が校章にも使われているとの事です。

福沢諭吉の言葉にも「余輩一本の筆を以て幾萬の兵を未然に防ぐ可能き筈なりき」慶應義塾元塾長 小泉信三 ペンは剣よりも強しとあります。

このように校章に使用され、慶應のモットーにもなっている言葉ですが、このペンが櫻井くんのソロ曲のタイトルに含まれるなどしており櫻井くん自身にとっても大きな存在だと伺えます。

 


これまで勉学に励んできた時も、ラップを書く時も、キャスターの仕事をこなす時も、ペンは必須です。そのペンに自らの知識や思いを乗せ「言葉」を作り出します。

その言葉が導く先は、更なるステップアップや嵐としての活躍です。故に“ペンの指す方向”とは、羅針盤が示す彼の航路なのでは、と考えました。

 


話は変わりますが、「愛を歌おう」(2013)のラップでは、嵐が船、ペンが羅針盤であるように、わたしたちファンを灯台に例えています。

 


該当部分を以下に抜粋します。

「you're my 道を照らす灯台

 


灯台とは、どんな天気でも船が迷わないよう、いつでも変わらず同じ場所にいて船やその航路を照らします。

スケッチ(2012)でも、「僕らの進む方 キレイに照らしてよ その笑顔で…。」という歌詞があります。こちらの曲では「you're my sunshine」とされていますが、道を照らすという役割においては変わりません。

灯台と船という切っても切れない関係のものに自分とファンを例える、そのワードセンスと想い。初めて愛を歌おうを考察した時は泣きそうになりました。

 

 

 

ペンの指す方向 chapterII

「口先ではなく見よう前」

 


これは福沢諭吉の「慶應義塾の目的」という文にある「躬行実践」が関わっているのではと考えます。慶應義塾の真の目的を最も簡潔に表したものとして有名なものだそうです。以下に抜粋します。

 


慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家(こけ)、処世、立国の本旨を明(さや)にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり 慶應義塾の目的

 


「躬行」は自分の意思で行う、「実践」は実際にやってみることで、口だけではなく実際にやってみることの大切さをいう言葉です。

ペンの指す方向chapterIIにて、繰り返し歌われる言葉。これは、前述した誓約において勝つ為にも重要だと考えます。

誓約は言霊の力により、その言葉を現実にしようとするものです。しかし、例えばただ単に「痩せたい、痩せる」と言葉にしてもそれだけで痩せられるはずはありません。そのための努力をした上で、自らを鼓舞し励ますものが言霊です。

つまりそう、口先だけでは何も変わらないという事です。櫻井くんはそれを分かっていたために、今の仕事に全力で取り組むと誓ったという考え方はできないでしょうか?

 

 

 

Hip Pop Boogie

「これが最初のタイトなパイオニア これが最初で最後のパイオニア

 


先程触れた「慶應義塾の目的」の文の中に出てきた“全社会の先導者たらんことを欲するものなり”が関わっていると思われます。

この文の解説として、福澤諭吉は学問を修める過程で、「智徳(ちとく)」とともに「気品」を重視し、社会の先導者にふさわしい人格形成を志しました。慶應ホームページ

 


社会の先導者という言葉に注目してみてください。櫻井くんはアイドルをしつつ大学進学、またニュースキャスター就任という2つの事でパイオニアとして道を切り拓いてきました。Hip Pop Boogieからも分かるように、その内に秘めた彼の開拓者精神とでも言うべき性格は慶應で育てられたものでもあると多分に思います。5歳の頃にお母様に置いていかれても睨んでいたエピソードから、元から肝が据わっている・度胸があるのかなとも思いますが

よって、この部分の歌詞は慶應の精神、つまり慶應イズムを受け継ぎ実践する櫻井くんの覚悟や宣言といった意味があるのではないかと考えます。

 

 

 

櫻井翔さんの発言にみる慶應イズム

 

「俺毎年子供の時(福沢諭吉のお墓に)お参りに行ってたから」SUMMER TOUR 2006"ARASHIC ARACHIC ARASHICK Cool&Soul"名古屋MC 「生まれ変わるなら何時代のどんな人がいい?」という話題

 

 

相葉「俺は福沢諭吉になりたい。どんな人でも嫌いじゃないと思うよ?」
(少し離れてた櫻井くんが不満げな顔で相葉さんを見る)
櫻井「えー相葉くんが福沢諭吉だったら嫌だなー」←以後、この話題の時なんとなく棒読み
相葉「なんでだよ!」
櫻井「だってー俺毎年子供の時お参りに行ってたから」
松本「え?福沢諭吉のお墓に?」
頷く櫻井くん
櫻井「麻布十番のお寺にあるの」
松本「それは何。遠足とかそんなの?」
櫻井「いや、自主的に。だから相葉君が福沢諭吉だったら嫌だなー」

 

震えませんか?慶應義塾の創設者のお墓へ自主的に墓参りをして(しかも子供の頃)、いくら嵐のメンバーでも福沢諭吉になるのは嫌と言うほどの敬愛。恐ろしい、シビれる。

 

ちなみに福沢諭吉のお墓がある麻布十番のお寺は、善福寺という所だそうです。状況が落ち着いたら行きたいですね。

 

 

 

「嫉妬は最もみっともない感情」Cut 2013年7月号 櫻井翔の履歴書Q27.どういう人に「嫉妬」しますか?

 


これについては、福沢諭吉著「学問のすゝめ」十三編“怨望の人間に害あるを論ず”の一部を以下に抜粋します。

 


怨望はあたかも衆悪の母のごとく、人間の悪事これによりて生ずべからざるものなし

日本語訳: 妬み嫉みは衆悪の母のようなもので、人間の悪事でこれによって生じないものはないほどである。

 


もしもこの言葉が元となっているとすれば、この回答は櫻井くんの超個人的な母校愛とか賛同などが詰まったものです。

その私的さの濃度があまりにも高すぎる故に「嫉妬は一番みっともない感情」という言葉は彼が彼自身を計ることだけしかできないものさしだと思います。

櫻井担が「翔くんが嫉妬は一番みっともない感情って言ってたし(>_<)」と自制しているのをたまに見かけますが、恐らく彼の回答はオタクに自制させる意図はなく、ただ単に母校愛ゆえのものさしを見せただけではと考えています。櫻井担が自制する事自体は予想していたかもしれませんが。

 

 

 


「『自由とは責任である』ととにかく叩き込まれた」

Cut 2013年7月号 櫻井翔の履歴書

 


櫻井くんのご家庭は基本的に放任主義だったそうですが、「やりたいならやれ、ただ責任は全うしろ」というスタンスだとこのインタビューで発言していました。留年したら大学の学費は自分で払えと言われていたというエピソードからも、このスタンスが貫かれてきたんだなと思いました

またそれだけでなく、出身校である慶應でも「自由とは責任」を叩き込まれたそうです。

先程、①櫻井翔さんにとっての慶應義塾とは?にて、地元の友達という存在がいなかった為に余計に慶應への思い入れが強まったのかもしれないと述べました。しかし、三つ子の魂百までと言います。小学生という幼い時期から義塾の精神を学び、慶應が家族以外のアイデンティティとして確立されていた事は現在の櫻井翔さんにとっても物凄く大きな意味を持つのではないでしょうか?

 


福沢諭吉の「学問のすゝめ」に該当部分と思われる言葉があります。以下に抜粋します。

 


自由と我儘との界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり

学問のすゝめ 初編 学問するには分限を知る事肝要なり

 


「自由とわがままの境界線は、他人の迷惑になるかどうかという点にある。」という意味です。

他人の迷惑にならず、自分だけが責任を取れるならばそれは自由である。他人に迷惑をかけ、周囲に悪影響を及ぼすとなるとそれはわがままである。

 


実際に、幼稚舎〜中等の時に“お山の大将”的存在だったという櫻井くんは、何回か「もうお前についてけねえよ」と仲間から反撃され、上記の事を身をもって学んでいった(要約)と答えていました。この言葉は正しいのだ、と学んだ事で更に慶應への敬愛が強まったのかもしれないと考えます。

 

 

 

独立自尊2019年3月嵐FC会報 櫻井翔百問百答Q67.座右の銘は?

 


慶應義塾の精神として挙げられている7つのうちのひとつです。

慶應義塾の精神とは、義塾、独立自尊実学、気品の泉源、半学半教、自我作古、社中協力です。

 


独立自尊の意味としては、心身の独立を全うし、自らのその身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う、だそうです。

 


自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行うことを意味する、慶應義塾の基本精神です。完全に慶應リスペクトの上で出てきた言葉です。人生、ありがとうございました。

 


また、慶應の応援歌に塾歌があるのですが、その旧バージョンの歌詞にも独立自尊の言葉がありました。それだけではなく、慶應讃歌という曲にも独立自尊の単語があります。

 


話が逸れますが、ペンの指す方向chapterⅠ、II両方に讃美歌という言葉があります。

これは恐らく慶應讃歌の事を指していると考えます。

ペンの指す方向chapterⅠのバックに同じく慶應の塾歌である「丘の上」が入っている為、丘の上ではないかという解釈もあります。しかしここでペンの指す方向の歌詞を思い出してみてください。

 


「何時間か後には讃美歌」

 


卒業式を数時間後に控えた状況です。

慶應の卒業式では国歌ではなく、塾歌を歌うらしいです。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが。

塾歌は曲数がかなりあるのですが、その中でも慶應讃歌は卒業式で毎年歌っているようです。そのため、丘の上よりも慶應讃歌の可能性が高いと思われます。

慶應讃歌がYouTubeにあったので、ぜひ聴いてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

ではなぜ丘の上がchapterⅠのバックに入っているのか?

この丘の上という曲は、早慶戦に勝った時だけ歌われる応援歌だそうです。

また一方で、ペンの指す方向は櫻井くんが慶應で長く同じ時間を過ごしてきた仲間に届けたかった想いを込めた曲。

 


そこに出身校の応援歌をバックに入れることで、ひたすら友を応援している事、慶應というホームで育った絆がある事というメッセージを込めたのではないでしょうか?

また丘の上においては、勝った時だけ歌われる曲です。つまり、これから先必ず勝つ(活躍できる)という意味にも取れます。これも何だか誓約に近いものを感じますし、「Everything gonna be allright」にも通じていそうですね。

 

 

 

以上で考察は終わりになります。最後になりますが、書いていて本当に楽しく、また恐ろしかったです。櫻井翔さんの愛校心と慶應への思い入れの強さに頭を抱えました。と言っても全部妄想込みの考察にしか過ぎず、また櫻井翔さんに対して大変失礼なブログになっている可能性がとても高いです。ですがこんな考えを持つ奴がいるんだなと知って頂けたら嬉しいです。

 


ちなみに、ペンの指す方向に登場する「動き続けた長針と短針」の時計は慶應大学三田キャンパスの旧図書館にある大時計か、同キャンパス内の稲荷山にある「独立自尊の時計塔」のどちらかの時計がモデルの可能性、ワンチャンあるといいなーと思っています。

 


図書館の方の大時計は慶應公式グッズで校章と共にペアグラスのデザインになっています。プレゼントにいいかもしれないですね。

 

 

下に学問のすゝめの本のリンク貼っておくのでぜひ買ってください。在庫少ないけど漫画なので読みやすいと思います。あなただけの発見があるかもしれません。その時は良ければ教えてください。

 

 

あと「余輩一本の筆を以て幾萬の兵を未然に防ぐ可能き筈なりき」の言葉が収録された、慶應元塾長の小泉信三さん著「ペンは剣よりも強し」も貼っておくので興味のある人は買ってみてください。ちょっと古い本だからなのか結構値が張りますが、言論に関わる者の責任を明らかにしたものだそうです。櫻井くんに通じる事があるかもしれません。

何せAmazonなので送られてきたものに関しての責任は負いかねますけども。

 


 

 

 

以上です。ありがとうございました。